2011年3月7日月曜日

クライストチャーチから帰ってきて、

クライストチャーチで地震が起きた次の日から、そこに居ました。
そもそも家こそないものの、わりとしょっちゅうこの町に僕は居るのですが。

一週間ぶりに行ったその町は姿をすっかり変えていました。
一週間前に僕達がサーフィンを楽しんだ場所は液状化が進み、道は凸凹になっていて、僕達がご飯を食べた場所は損壊が激しく、近くにさえ寄れませんでした。

向かっている最中、車の中から見えたのは、町から逃げ出す人々で渋滞した国道1号線。
クライストチャーチに着いて見えたのは、パニックになっている町。
警察や軍によって立ち入りが規制されている、市内中心部は、ガランとしていてまるで戦場のような雰囲気。
到着して数時間は映画でも見ている気分でした。

ひび割れた道路、点滅しっぱなしの信号機、砂が舞い埃っぽい空気、ガソリンが売り切れたガソリンスタンド、食べ物が売り切れたデイリーストア。
それしかない数日間。

その後、数日間が経ち、警察や軍による立ち入り規制が激しくなると、普段は怠慢な彼らも権力を誇示してくるようになり、まるで犬でも扱うかのように僕達に接してくる。
そして埃っぽく乾燥した空気が、なんだか中東の国のような雰囲気にさせる。
そんな数日間。

電気がある人と電気が供給されてない人、家がある人と家を失くした人、何でもカメラを向けるメディアとそんなメディアを嫌がる人達、レスキュー隊とその作業が遅いと批判する人達。
そんな光景を沢山見た数日間。
僕にとっては非常に多くのことを考えさせられる数日間でした。

今は町自体も復興に向けて、前向きなスタートを切りました。

どこかの政治家や慈善活動が好きな人が使うような、労いの言葉で片付ける気は全くありません。
僕はこの町をこれからも好きでいますし、この町やこの国の良さをこれからも出来るだけ多くの人に知ってもらえるように頑張りますね。